2014.09.01   民間伝承 ,,,,,,,,,,,,,

長月は目覚めがよくなくとも、あとは序々に心地よくなるものだ。

長月となり、少しばかり肌寒いときもあるようである。葉月の癖で、窓を全開にしたまま睡眠をとっていたわけであるが、真夜中にもなると肌寒さで目を覚まし、窓を閉めればいいものをわざと薄っぺらの布団に潜るように閉じこもる。もちろんそれでも快眠の暖かさまではいかず、閉じこもった薄っぺらの布団の中で更に身体を丸める、まるで猫のようである。

すっかり身体を冷やして目覚めた朝というのは、なんとも調子がのらないものだ。階段を降りるにしても、いつもの道を歩くにしても、少しばかり重たさがのしかかっているようで。しかしながら、そのような日というのは序々に身体が軽やかになっていくもの。早朝から身体が快調であると、あとは降下していくだけであることは目に見えているようなものなので、このような日はすこぶる心地もいい。長月ならではの涼しさもこの身体を支えているのだと、秋の始まりに感謝を捧げる。真夏の目覚めの悪さとはひと味もふた味もわけが違うのである。それが秋の醍醐味。


槍の間合いもまだまだだな。