2017.10.02   民間伝承

モラルとマナーの違いは?日本人のモラルは低下しているのか。

常識がわからなかったりマナーがわからなかったりということは、いくつになってもそれほど気にすることではない。なぜならそれらを指摘した人間もまた、同じことで誰かから指摘されたり同じ過ちを犯したことによって学んでいるのだから。何度も同じ過ちを繰り返しているのであれば話は別であるが。

人は常識やマナーではない、モラルだ。

人にとって最も重要なことは常識やマナーがわからないことではない。それよりも意識するべきことはモラルではなかろうか。というのも、私自身も仕事などで対人との関係が生まれると、礼儀や常識などのマナーとはまたちょっと違ったところでどこか引っかかる感じが生まれてくるのである。この人付き合いをしたときのモヤっとする感じはなんなのであろうかと、しばし考えては埒が明かずにいたものである。
単純な常識やマナーだけじゃない。仕事における電話の内容やメールの文面ひとつでも伝わってくるようなつっかかり感。私もドライブをしていてときにふと当てはまる言葉が見つかった。そう、それこそがモラルという言葉なのである。

モラルとはどのような意味か?

モラルとは『倫理。道徳。習俗。また、生き方に対する真剣な反省。』という意味でつかわれる。これがまた倫理だの道徳だと習俗だのといわれてしまうと、実際の生活と比べると現実味があまりにもない言葉ばかりである。小学校の授業で道徳という言葉はあっただろうが、あの時間で本当の道徳的な教育であったかはわからないものである。もしもあの時間に、モラルの意味であったり、モラルとマナーの違いであったりと、モラルという言葉や考え方の意味をいまいちど深く考える時間があればこれほどモラルによる答えに悩む必要などないのである。

モラルとマナーの違いとは?

ここでモラルとマナーの違いというものを簡潔に、より明確に述べておきたい。先にモラルであるが、モラルというのは先ほども述べたように『道徳』である。つまり、モラルとは様々な人々の生き方そのものである。それに対してマナーというのは『約束』である。つまり、マナーとは様々な人々のルールみたいなものだ。マナーといえばよく思い浮かぶのは食事中のマナー・公共の場でのマナーなど。その他の場面でもマナーが必要なタイミングは多くあるが、食事中と公共の場ではより多いだろう。人類は皆、ある一定のマナーやルールの上で個性やモラルを育ませているのである。

日本には空気を読むだとか、間合いを感じるといったような和の精神性を高く評価される。これら日本人が海外から高く評価される人間性や国民性についてはしばしモラルやマナーというものが深く携わっているといえる。ここでまとめておきたいのは、マナーというのは誰かが定めたものを人々が互いに守りあうことで成立するお約束であり、そのマナーを守ろうとする気持ちがモラルに近いのではなかろうか。

モラルとマナーのまとめ

私の結論からすると、マナーというのは礼儀やルールの習得によって自分を繕うことができる技術のようなものであり、モラルはどんなに自分を繕っても滲み出てくる人間性そのもののことを指しているのではないかと考えている。つまり、モラルというものは単純に学べば習得できるものではなく、その人間が持つ自然体な行動や思想などを表現させた状態のものを指すということである。

モラルは年相応に成長させるものである。

モラルについて長々と述べてしまったが、結論としてはモラルというのは人それぞれが年相応にあわせて自然体に成長させていけるものだと思っている。マナーや礼儀というのは世代関係なく、学ぼうとしたそのときから習得できるものであるが、モラルばかりはそうはいかない。人それぞれの経験や価値観、実際に体験してきたことや感じたことすべてが相互していきながら育まれていくものである。すなわち、マナーやルールによって自分を繕うことはできるが、自分の本質を導くものはモラルである。

『モラルがない』という意味は?

人生において何かにつまづいたとき、何か物足りなさを感じたとき。モノやコトだけではおさまならいあるものを追求する必要がある。それは、自分自身の考え方や感じ方を見つめ直すことである。簡単にいえば精神面を育み直す必要がある。そのようなとき、先人の知恵を含むあらゆる思想を導き出すこととなるが、そこで思想や宗教の話などをはじめても埒が明くわけではないだろう。なぜならば現代における宗教や思想というのは現実社会とあまりにもかけなはれた世界観を描く印象を与えるものがあまりにも多すぎることが要因のひとつではないだろうか。

現代の日本人のモラルは低下しているのか?

こればかりは私がどうこう言えるものでもないが、よく別なトピックなどで『日本人のモラルは低下している?』という話題で討論されているものがある。特に『最近の若者は〜』というお決まりのフレーズで自分よりも世代が下のものを若者扱いして、人間性を否定するような風潮が日本にはよくある。ゴミのポイ捨てや現代の働き方、生活習慣や思想などあらゆる面で否定することがひとつの流行なのである。

話は戻るが、ここでいう年配者による若者否定のほとんどはマナーに対する否定ではない。これはモラルの否定につながってくる。つまり、若者のおこないというのは年配の方々からするとモラル否定の餌食になることが常である。しかしながらそんなことも気にすることはない。なぜならば、若者を否定している年配の方々もまた、若かりしころは同じように年上からモラルを否定されていたからである。


槍の間合いもまだまだだな。