2014.07.31 音楽 アンビエント,エリック・サティ,テクノ,原点回帰,古典,圧倒,家具,庶民,思想,意識,抽象的,日本人,映像,歴史,漂流,演奏,親近感,逆流
幼い頃から楽器を習ったり演奏をしたりしていると、音楽というものは「聴く」よりも「演奏する」という意識が強くなる。しかしながら生まれながらにしてポップミュージックやユニークなメロディ、さらにはビジュアル的に刺激的なものに溢れる時代を育ってくると、幼少時代にむりやり教育された古典的な旋律の魅力は、下手をすると成人を迎えても気付けない場合があるのかもしれない。
ある一定のラインを超えると再び原点回帰をすることになるが、そのときにはどんなに洗練された古典的な音楽であっても、少なからず数十年を生きた自らの環境と思考が影響してくる。そのような意味で私にとってエリック・サティ【1866-1925】は、数十年前よりも今現在の方がはるかに魅力を感じる。エリック・サティの音楽というよりも、その思想が心地よいのかもしれない。
庶民派として音楽の創作に励んだエリック・サティ。才能あふれながら貧困生活を伴い、孤独な人生。曲名で出来を判断する人々を皮肉する曲名をつけ、聴くための音楽を、聴かないための音楽として定義づけていたのである。そして何より『家具の音楽』として、生活の中に家具があるように、音楽もまた家具のように自然にあるものでなければならないという思想は、この上ない音楽に対する共感を得る考え方である。
「庶民的」や「日常」というキーワードをみてしまうと、どうしても民芸であったり柳宗悦の思想であったりを連想し、日本人としての親近感を覚えてしまうのである。ここ数年で抽象的な実験アニメーションや映像を制作していると、なおさらこの『家具の音楽』という考え方に圧倒されてしまう。たまたま自分は生まれた時代が遅かったこともあり、ポップス>アンビエント>80年代テクノと、歴史の流れから逆流していたのである。
しかしながらエリック・サティまで漂流したところで、もう一度1900年代の音楽とじっくり向き合えることができそうである。
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