2015.08.19 音楽 原発,地球,日本,郡山市,開成山
世で原発の有無と再稼働についての討論がなされていると思えば、その直後には宇宙飛行士による宇宙からみた地球全体の真夜中の明かりが『美しい』と報道がある。原子力発電がしばらく運転停止をしていたこともあり、その明かりのすべてが原子力発電だということではもちろんないが、少なくとも日本列島に浮かぶその『美しい』というものは何らかの発電によって生まれた発電のエネルギーの結晶であると同時に、消耗品であることには変わりない。生活のためにつくられ、宇宙から眺めた『美しい』を生み出すために資源は確実に消耗し続けている。以下は1988年に郡山市開成山公園野外ステージで行われたライブに埋もれていた音源のひとつ。「さらば!原発」愛のボロボロ楽団である。
「アース・オーヴァーシュート・デー」という言葉もあるが、これは人類による資源消費量が、その1年間に地球が生成できる資源量を超える日を計算したものである。そのアース・オーヴァーシュート・デーは、この40年間早まり続けているとの調査結果も出ている。人類が原子力発電といった、リスクを背負ってでもその資源を活用する理由の裏には、このような事実があることも鵜呑みにすることはできない。
その明かりを灯したエネルギーは必要不可欠のエネルギーだったのだろうか。はたまたエネルギーが偶然に人類の視界に入り、そこにあるものであるから無意識に触れてみただけなのか。もしもそのエネルギーを無意識に使うのであれば、大気圏を超えた大宇宙から客観的に眺めた『美しさ』にかなっていたのだろうか。いや、そもそも宇宙からの美しさを求めて資源を使い倒すというのは、本末転倒な話なのである。
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