座禅は気持ちを整えるために古くから伝わる行いのひとつとして大切にされている、している。本来は曹洞宗が行う独自の修行でもあったが、今では日本にとどまらず、仏教の文化がこれまで普及されていなかった海外でも認知され、世界規模の企業における代表や世界的に活躍するアーティストなどのあいだでも取り入れられている様子を多々うかがえる。
そんな最中にとある整体師と話していると、やれ足組みをすると身体が歪むだの、やれ正座をすると身体が歪むだの、とにかくもう何をしていても生きているだけで身体は歪んでしまうのではないかと思えるくらいに身体における調教を受けるわけである。
身体が歪むとはどういうことか?すなわち後々の話ではあるが例えば腰痛であったり頭痛であったり、身体のいたるところの痛みがその歪みからやってくるということになるのである。後に身体に不調がにじみでてくるということは、これらのように普段の生活から生まれる歪みが常に関わってきているということなのだ。
ここで話を戻すと言いたいことは座禅もあれだけ足をたたんでしまっているのだから身体が歪んでもおかしくないのでは?ということである。整体師に尋ねたところ、案の定返ってきた言葉は『歪むよ』とのことであったから、正直久しぶりに興ざめるという言葉を口にしてもいいんじゃないかと思ったわけである。
そこで私が第二に考えたのは、座禅をすることで『身体が歪む』のと『精神が歪む』のとではどちらを優先すべきかということである。もちろんバランスを保つことがもっとも適しているのであろうが、バランスなんぞというのは最終調整でなんとかするものであって、その過程においてはどちらかに偏りかねないのである。
座禅を終える度に整体に通うのも何かとおかしな話なので、なんとか精神が歪まぬ方向で調整をしたいものだ。そもそも普段から椅子に座りながらも足を組む癖があるので、座禅をする前に時すでに遅しである。
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