2014.09.17 民間伝承 イラスト,デッサン,丁寧,作業,古典的s,図式,実験,容量,感覚,手法,打開,焦点,素直,脳,表現,要素,言葉,記憶
自らの記憶を辿ると、私の場合はデッサンや写真、ときにはイラスト・アニメーション・図式など、身の回りのありとあらゆる物事を『描写』することで、物事を捉え、そして表現するという作業を繰り返していたように思う。あまりに偏った脳を使っていた自身の思考回路は、大学時代にひとつの転機とでもいうような、容量を超えてしまった感覚にさえ陥ったのである。
そこから始まったのは「そもそもどうして描写をしているのだろう」だとか「これを描写することで自分の思考や受けた他人はどのような気持ちになるのであろうか」など、その先がどのように変化するのかという、実験的な要素をふまえた思考である。
そして今、表現の型は描写から『言葉』という一種の古典的なスタイルに焦点を当てつつある。選びに選んだ言葉によって、受け手がどのような心理の変化を得るのか、自らがこれまでに描写してきた古い記憶を思い出しながら、ひとつひとつの壁を打開しようともがいている。というのも、あまりにも身の回りの物事を素直に描写しすぎると、それを言葉にしたときに、どうしても受け手には伝わりにくいといった場合があまりにも多すぎるということが理由である。
物事が例えひとつだけであっても、それに対する表現の仕方とその今後は、自分では気付けないくらいの種類があるというがおもしろいのである。
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