2014.09.12   民間伝承 ,,,,,,,,,,,,,,,,,

麻痺した感覚の実験結果を嗜好とする、第三者の落とし穴。

第三者の目線というのがもっとも新鮮で、的を得た情報を発信しているような感覚である。第一者は混合物をフィルターいっぱいにつくることに一生懸命になり、第二者はその中の液体や気体などの混合物を取り除くフィルターの役割を。そして、その実験の全体の流れと結果をみることができるは第三者である。

特に第一者は混合物を集めるという作業で、全体をみることのできない半ば『麻痺』の状態に陥る。ろ過の源である混合物を生産しているのにも関わらず、その実験の結末をみることができない。あまりに麻痺してしまうと、混合物がフィルターいっぱいになり、溢れていることにさえも気付かなくなっているのだ。

第一者は一度作業を中断して、どうしてその混合物を生産しているのか、ろ過するとどのような液体や気体が抽出されるのかをみてみないといけない。フィルターの限界をわかっていないと、溢れた部分は無駄になってしまうのだ。

そして、第三者は実験結果だけを得ることになるので、一見おいしい位置にいるように思う。しかしながら、第一者と第二者が重ねに重ねたその生産の過程を知ることはできない。よって、その実験がおこなわれる最中の善し悪しにしか気付くことはできず、もっと重要である生産の過程や実験の後の経緯を知ることもできない。物事や人に対して『出会いは素敵なことだ』というのは、その以前の苦しみや悲しみを侮辱したような言葉にさえも変わりうる。


槍の間合いもまだまだだな。