2014.09.06   民間伝承 ,,,,,,,,,,,,,,,,,

能動的な体験を繰り返した後、人は自然に研ぎ澄まされた感覚に陥る。

しばらくネットでの作業をやっていると気付くが、ふだんやっていることのほぼ90%以上が能動的な動作であるように思う。サイトの統計からHTML・CSSのコーディング、テキストや写真・映像コンテンツの作成に編集、記事を読むことだって能動的である。能動的であるということは攻撃的な要素が大きいように思えるが、どちらかといえば攻撃するための道具を磨いているような感覚である。

いずれにしても日常の90%以上が能動的な動作であり、一方の受動的な要素がほとんどつかわれていない。そのため、テレビやラジオ、まわりの環境音や音楽など、無意識であっても情報として入ってくるような受動的な物事が妙に新鮮さを感じ、認めたくないほどの心地よさを感じてしまうのである。

人の話や虫の鳴き声でさえもそうだ。それらがふとまわりに近寄ってきたとき、あまりにも研ぎ澄まされた状態で身体に溶け込んでいく。それは時に快感であるが、場合によっては人一倍に気味の悪さを感じてしまう感覚でもある。感覚がただただ研ぎ澄まされている状態なのだ。


槍の間合いもまだまだだな。