2014.08.13 民間伝承 サブカルチャー,七回忌,二百回忌,仏,体験,供養,先祖,兵士,地方,常時,御盆,思考,意識,新盆,日本,武士,死後,民間伝承,祖先,祖母,祖父,神仏,葉月,言葉,輪廻転生,霊
今年の春に父方の祖父が故人となり、今回のお盆は新盆というかたちで祖父の魂を迎えに山の寺をのぼるのである。また、母方の祖父が今年で七回忌ということもあり、数十km離れた地方を数日の間に移動し、同じく供養し先祖の霊を祀るのである。
おもしろいことは、父方と母方それぞれ異なった宗派と寺、さらには地方による供養とその方法に少しばかりの違いがあり、その違いを身にしめながら祖先を思うのである。
常日頃神仏を信じ、国のため他国との争いを体験してきた祖先の思考と言葉には常時心を震えさせられるのである。両祖母と言葉を交わしては、やはりこれからにおける供養とその宗教観の薄れを考えるときである。法事も数えてみれば新盆から始まり、三回忌・七回忌・十三回忌と数を重ねて行くのであるが、数え続けてみれば二百回忌まであるのだという。
さすがに二百回忌まで数えると自分の命も絶やしていることと思うが、輪廻転生という思考がある以上は死後も覚えておくことが仏に対する礼であるようにも思う。
生まれながらにして武士でなければ、兵士でもない。火縄銃も戦闘機も核兵器の本当の恐ろしさも体験はしていない。みてきたのは、平和な戦後のサブカルチャー史だけなのである。想像することは難しいかもしれないが、人生における基盤はサブカルチャーでなければ、もちろん現代の平和でもない。基盤の文化は常に、祖先が築き上げてきた宗教観であり、戦である。
法事や供養、そして戦争という恐ろしい歴史は、変な話をしてしまえばサブカルチャー史によって完全にかき消されていくような感覚である。そのような意味では新盆も三回忌も七回忌も、行々は人々の意識からますます薄れることは否めない。今が民間伝承のときである。
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