2016.02.09   民間伝承

乾電池はマンガンもアルカリも充電式の時代も終わる。乾電池の未来は?

乾電池とは物心がついたときからずっとお世話になっているくらいであるが、正直なところそろそろ乾電池の時代も終わりに近づいているのだとつくづく思うわけである。特に、乾電池の中でもマンガンとアルカリで使い分けする知識が必要であるが、はっきり言ってその使い分けすらイマドキはもうイケてないのではないかと考えている。

マンガンとアルカリの違いは?

乾電池を眺めているとわかるのだが、乾電池には必ずマンガンかアルカリの表記がある。使用する媒体によってどちらの乾電池を使用するかを使い分けていく必要がある。私の記憶だと、マンガン電池は微力のもの。つまりは時計やリモコンなど、比較的少ない電力で動作可能なものであったと思う。一方のアルカリ電池は、ゲーム機や電子器具など、長時間動作し続けるもの向けであったような気がする。この使い分けは数十年前から採用されており、当時小学生くらいの子どもにとっては使い分けが難しいものであったのではないかと思う。

マンガンとアルカリを超えた『充電式』とは?

ミニ四駆で遊んでいた人ならきっとわかると思うが、ミニ四駆には乾電池が二本必要である。そこで、マンガン乾電池もしくはアルカリ乾電池を使用するわけであるが、そこで頭がキレる人間は『どっちにしてもすぐ電池が切れちゃうじゃない』と気づくわけである。そこで、ミニ四駆を走らせる人間は『充電式乾電池』の存在に気付き、例え乾電池の充電が切れてしまっても、また充電して同じものを使うテクニックをうまく取り入れていくわけである。これは小学校高学年の知識ならまだしも、小学校低学年の知識だけではなかなか取り入れることのできない不思議な境界線を導きだしている。少なくとも当時の充電式乾電池というのは、一般的な乾電池と比較しても価格がやや高めであり、アルカリ乾電池もしくはマンガン乾電池に慣れている人間にとってはかなり高価なもので手をだせないというのが現実なのである。

結論、乾電池の時代は終わるべき。

いきなり結論に入ってしまうが私個人の意見としては、もう乾電池という存在は廃止するべきなのである。もう、マンガンもしくはアルカリの使い分けが全くスマートではない。さらにいえば、それらの乾電池も電力がなくなればゴミとなる。しかしながら、乾電池のゴミほど処分に悩むものもない。そして、充電式乾電池というものも存在するが、はっきり言って乾電池を別な容器に入れて充電することすらめんどうくさいのである。現代のiphoneやスマートフォンをみていればすぐに気づくが、媒体そのもにコンセントを差して電力を送り込んであげることが最もスマートなのである。


槍の間合いもまだまだだな。