2015.07.08 民間伝承 両刃,地味,操作,片面,経営,脆さ,表現,親近感,質素
イラストデータや写真・映像などの様々なコンテンツを制作し、情報を発信していくことが容易になった今だからこそ、それらの価値は心を動かすきっかけとなりつつも、日々確実に衰退しつつある。それらのコンテンツは日々確実に衰退しているといっても過言ではない状況なのである。実際にそれらのコンテンツを制作し、発信し続けていない限りはそのコンテンツに関する本来の意味合いは理解しつくせないのは当然なわけで、正直なところ『勘違い』での理解としてしか受け止めることはできない。プレイヤーとは、結局のところ経験ではなく時間なのである。
たとえコンテンツをつくる上でそれらの制作に関するソフトがつかえようが、ましてや1mm1pxの境界線を寝る間も惜しんで励もうが、結局は何かに恐れた上でのカタチでしかなく、そのコンテンツ自体からは何も生まれていないというのがコンテンツをつくる上での現代のオチなのである。もう、プレイヤーの時代は終わり、マネージャーの時代も終わっている。一見新しく思えるプレイヤー兼マネージャーなんていうのも、結局はどちらからも親近感のもてない戯言の肩書きにすぎないのである。
地味に生きるべきである、質素を淡々と愛するべきである。欲というのは制作の中で発散するものであり、また、己の表現に徹することでもないのだ。勘違いでの共感は流行であるがゆえの大きな過ちであり、その過ちによる心の動きはフロート板ガラスの耐震性のようにもろく、驚くほどに美しさにもかけている。瞬間の美学など必要はない、継続的な質素さこそがモノゴトの水準を高め続けている。
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