2018.05.24 民間伝承
サッカーに関して「敗北した際に心に負う痛みは勝利の喜びの2倍以上である」という研究結果をイギリスのイースト・サセックス州にあるサセックス大学の研究者たちが発表したようである。研究チームはアプリをつかって調査。サッカーの試合後の気分などを調査したようだ。
分析結果から明らかになったのは「サッカーファンを続けることにより受ける累積的影響は、圧倒的に負のものである」というもの。なるほど、どんなに試合に勝ってうれしい気持ちになっても、負けたときの悔しさはそれ以上なのかという、簡単なからくりである。
このページで書いていること
この研究結果をみたとき、私はふと思った。なにもこの条件というのは、サッカーファンに限ったことではないのではないのか?と。簡単にいえば、例えば野球やバスケであってもどこかチームを本気で応援していれば同じほどの喜びがあり、そして悲しみがあるのではないかということである。単純にこれらの研究対象がサッカーであっただけで、本気であるものを応援したり気持ちが入れば、それだけ悲しみや悔しさも伴うものなのではないかというのが、私の意見である。
たしかに、あのスポーツ観戦において応援しているものが勝てなかったときの悔しさというのは、あたかも自分のことのようにモヤモヤとするものである。そして、このモヤモヤ感というのはほとんどすべての人が感じるものなのであろう。だからこそ、今回の「サッカーファンが幸せになれない」というのは、このように研究対象となるほど話題となり、そして様々な媒体によってシェアされるほどの盛り上がりをみせているのだろう。私もサッカー観戦において長年の間、この負けたときのモヤモヤ感を感じる一人であり続けたが、ここ近年で偶然にもこの「サッカーファンは幸せになれない」というジンクスを完璧に打開する方法をひとつだけ発見した。
これはある意味、常識を覆す考え方になるので、正直なところある特定のチームに限定して熱血的なファンであるなら、全くおすすめはできない。このページはこれ以上読まない方がよいだろう。あくまで特定のチームや国ではなく、サッカーそのものを観戦することが好きならばおすすめできる方法である。
さて、サッカー観戦をしていて幸せになる方法であるが、ずばりそれはある特定のチームだけ応援するということを、一切やめてしまうことである。そして、もっといえば常に勝っているチームを優先的に応援し続けることである。たとえばAとBが試合をおこなっていたとする。Aが1点リードで後半の終盤までゲームを運んだとする。そのときはAを応援して、Aを主観的にみていればいいのである。そして後半のロスタイムで、もしもBが2点とってリードしたとする。そのとき、そのBのがんばりとファンタスティックに敬意を払い、心変わりしたかのようにBを応援するのである。気持ちの切り替えがなんとも難しいが、これもまた気の持ちようである。無理にでも応援したい選手を見つけて、そのチームのファンであると自分に言い聞かせてあげるのだ。すると試合終了のホイッスルがなったとき、あなたが応援しているチームは絶対に負けることがないのである。
いかがだろうか。上記のようにサッカーゲームを観戦すれば、自分が応援しているチームが試合に負けることはまずない。試合に勝ち続けることができるので、幸せになることができるだろう。…いや、そんなことはない。
そんな心変わりのような心境でチームを応援したところで、本当に勝ったときに喜びを感じることはできるだろうか。いや、そんなことはまずない。自分が理由もよくわからず、いつも間にか応援してしまっているチームこそがファンなのである。ファンになるのに理由なんてないし、自分が意図もしないところで応援してしまっているのがおもしろいところである。
幸せになりたくてサッカーをみているわけではない。サッカーをみているから幸せなんだ。勝ったときの喜びよりも負けたときの悲しみの方が大きいとはいうものの、私たちはサッカーをみているその瞬間が最高にたまらなく好きなのである。そう、たったそれだけである。
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