2014.07.22   民間伝承, 音楽 ,,,,,,,,,,,,,

どのシャラララもウォウウォウもシンガリンガリンも木である。

いつもより15分多く歩いた今日であった、45分。例えば『行きの15分』をひとつの道のりだと思ってしまうと、その15分でひとつの『葉』だと考えるようになり、帰りが『15分』という『葉』のように思えてくる。ここで述べたようにひとつひとつを文章にすると、この、行きと帰りの『あいだ』の時間はまるでなかったように、短く、そして物語ひとつもないようにみえてくるものだ。

よって葉と葉が連なってみえてきて、行きと帰りという『木』にみえてくるのはおもしろい。しかしながらこのときの『行きの15分』というのは、実際に体験しているうちは長く険しく、それ自体が『木』にさえ思える。時間の感覚である半日や1日、もっといえば1週間や1ヶ月は、長く時間からみれば木の葉にも満たさない大きさだと思えば、少しばかりしんどい物事も美しい木のためだとみれる。


槍の間合いもまだまだだな。


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