2016.01.18   民間伝承

雪かきは雪国の人々にとっての張り合いでありライフワークだ。

大雪が降ると雪かきをするのは必然的なものである。特に日本海側を始め、東北の一部地域においては雪かきをすることこそライフワークであり、雪が降らないと張り合いがないと喚くほどである。決定的だったのは、祖母と正月にお寺に新年の挨拶に行った際、ちょうど同じタイミングであいさつにきた7~8人の老男女が集まってきた。「今年は雪が降らないな」なんて話から始まったかと思えば「雪が降らないと張り合いがない」という下りは朝飯前のもの。そこから昨年や過去におけるこの季節の雪の状況まで詳しく解説が入れば、もう雪のトピックだけで30分以上は話が弾んでいるのだ。そのくらい、これらの地域にとって、冬の雪というのは重要なものなのである。

習慣化されていないと、雪かきはできない。

当たり前だとは思うが、ふだん雪の降らない地域や幼い頃から雪かきの習慣がなければ、雪かきなどしようと思わない。多少の雪であれば足跡によって道をつくればいいと安易な考えに結びつくものである。逆をいえば中途半端に雪が降ったときにはその方がウンと効率がよい場合もある。たった数センチのために、わざわざ早起きをして支度を整えて雪かきをするのは状況によってはナンセンスになりかねないのである。
そのような意味では、天気予報をみて翌日の早朝に早起きをするような、さらには雪かきの服装に整え、張り切って作業に取りかかれる人というのは若い世代になればなるほど珍しいものなのだ。

雪かきに必要なのは想像力。

よく雪かきをしているときに思うのは『どこに雪を集めるか?』ということだ。このイメージを常に持っていないと、あるとき急に積もった雪が山となり、かえって邪魔になりかねない。もっとひどいときはそのまま雪が固まってしまい、空気の汚染によって真っ黒の汚い雪山へと変貌してしまうのだ。こればかりは雪国では仕方のないことでもあるが、できるだけ視野に入らない場所や、しばらく積もっていても邪魔にならない場所に集めておくと非常によい。雪かきは想像力・イメージ力のかたまりなのである。

いまいちまとまりもよくない記事であるが、気にする心配はない。いかんせん、雪かきとは静かに黙々とやるものなので、文章でどうこう言っていても何も始まらないのだ。そして、最も問題なのは雪よりも、雪そのものが凍ってツルツルになってしまったときなのだ。そのときばかりは、さすがに車を走らせることはもちろん、歩くこともリスクをおうことになる。織田裕二ではないが、凍った氷の状態なんてのはほとんどない。案外、常に溶け続けているものだ。


槍の間合いもまだまだだな。


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