2016.01.09   民間伝承

太陽が眩しいからと言って背を向けてばかりはいられない理由とは?

散歩中にイヤホンで聴いていたゴンチチのBGMが、あまりにも歩く速度にぴったりで感心していたのもつかぬ間、10秒も歩いているとやはり歩く速度の方が微妙に速いことに気づく、土曜日の午後。まだまだゴンチチほど穏やかではないようである。

太陽が眩しいので、太陽から背を向けてるようにして歩き続けることしばらく、帰宅するにはややしんどい距離まで歩き続けていたことに気づく。ここまでの片道は経過時間に換算すると約2時間、この地点まで太陽に背を向けてひたすら歩いてしまったので、家まで帰ろうとすればさらに2時間の距離を歩かなければならない。往路のことを全く計算していなかった自分にちょっと励ましの言葉をかけてあげなければいけないと思い『がっつ』と言葉をかけてあげることにした。

とは言っても、ふだんから歩いているというのはなかなか強いものだ。たとえ合計4,5時間を歩き続けたとしても、それほど疲労も窮屈感もないのが驚きである。言うならば歩くマグロである。

いや、マグロだともっとスピードもあるのでちょっと違うかもしれない。もっと例えるならば、やはりラクダのようなものである。お笑いコンビ・FUJIWARAではないが、マグロとラクダは三文字違いである。

朝日でも夕日でも、結果は同じである。

太陽に背を向けるということは、朝日でも夕日でも同じことである。朝方に散歩をしようが夕方に散歩をしようが、常に太陽が眩しいといって背を向けていれば同じ結果である。よっぽど長い日陰がない限りは、しばらくは同じ方向に歩き続けなければならない。太陽の角度が変わるのは正午、午前中もしくは午後しばらくは同じ方向に歩くことにある。
結論としては、少しくらい眩しくても太陽に逆らわず、時間をみながら散歩をしたほうが1日の時間配分をうまくつかえるということである。余談ではるが、例えば土手や一方通行のような道をひたすら歩くと、折り返したときには追い越した人と再び遭遇することになる。そのときは『またお会いしましたね』くらいの気持ちであいさつできるくらいにしておいた方が何かと清々しいものである。


槍の間合いもまだまだだな。