2015.08.05   民間伝承

どのように見られているかではなくどのように生み出すか、日本。

ここでは自分が無意識に記事を書いているわけであるが、記事を無意識に書いていった際に大まかにでもカテゴリー分けしていくと自分が何について考え、時間を費やしているのかが明確になってくる。例えばこれまでのカテゴリーを見比べてみるとweb関連や民俗学、最近では宇宙といったキーワードを自然と使っている傾向にある。ちょっとおもしろい話である。

そのような中で今回は『健康』について、記事の数も中途半端であるという理由で述べておきたい。ここでは健康について、散歩の報告や飲食についての討論・自らの身体との対談などを好き勝手にずらずらと更新している。中でも2014年4月にアップした乳製品のとりすぎでだいぶ腹痛である、無念。についてはなかなか人気のある記事で、おそらくは乳製品をのんで腹痛になった人が解決策をみつけるために読んでくれているようである。しかしながらこの記事を読んでみると、乳製品による腹痛の解決策は何一つ記述されておらず、腹痛のツラさをただ淡々と訴えているだけという、かえって腹痛のような最悪の状況では大変迷惑な記事となっている。シェアの時代とはいえど、腹痛までシェアはしたくないだろう。

要するに、ユーザーと制作側の間にはいつだってギャップがあり、必ずしも自身を『制作者』として認知しなくとも、ありえうる迷惑のギャップを生み出している可能性は十分にある。特にTwitterやFacebookなどのSNSでは、アカウントを作成した時点で一人の表現者、すなわち制作者として成立しているわけである。自覚はなくても、そこから無意識に生まれるたった一つの言葉は、誰かが苦しんでいるものをさらに悪化させているかもわからない、『乳製品のとりすぎによる腹痛』のように

そのギャップから生まれる言葉やコンテンツによって人々は互いに傷つきあい、健康面にさえも影響がでてきているのは確かだ。できるだけそのギャップを埋めるような感覚でコンテンツを生み出していくことが、現代における健康としてのひとつの考え方であるように思える。


槍の間合いもまだまだだな。


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