2014.06.14 視覚表現 したり,クドい,モノゴト,作文,先生,単純,原因,国語,小学生,授業,文法,文章,時折,言葉,説明,違和感,間隔,隣接
前々から薄々気になっていた言葉があったので。ある2つのモノゴトを話したり、説明したりする場合の『…たり』は『…したり、…だったりする』というように、2つ目のモノゴトに対しても「…たり」と入れなければならない。
そうしなければならないと思っているのは、かつて自分が小学生のときに作文を書く授業の中で、国語の先生から注意を受けたことを記憶しているからである。確かに今になって調べてみると、文法的にもそれが正しいようであるから言えるのだが。
しかしながら、時折その文法を遣っていると「ん、おかしいな」と思うときもあり、その度に当時注意されたことを思い出すのである。『いつも文章を考えたり、書いたりする』というような「…たり」の連続には違和感もないのだが本文の2行目で使用したように「ある2つのモノゴトを話したり、説明したりする」と遣う場合、話すにしても、あるいは文章としたみた場合でもなんだかクドい感じがするのである。
「…したり」の連続は違和感があるのかもしれない。単純に2つ目のモノゴトにたいしての「したり」が隣接していることが違和感の原因かなとも思うので、たとえば「ある2つのモノゴトを話したり、言葉を考えて説明したりする」と気持ちだけでも「したり」の間隔をあけてあげるとおもしろい。
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