2016.01.16   視覚表現

小銭を重ねる理由とは?コーヒーと麦茶を一緒に飲みながら。

朝の散歩にでかけようと、着替え始めたのもつかの間。いざシャツを首に通そうとしたその瞬間、一瞬だけ視界が真っ暗になることを理由に、私の脳は『夜がきた!』とでも勘違いしたのだろうか。たった一瞬の脳による判断により、すぐさま眠気が襲いかかってくる。太陽が清々しく上り詰めてよく晴れた日中、再び布団に横たわる。
散歩前の調子付けに流していた65分25秒のBGMも、いつの間にか終わっている。今日という日の太陽に挨拶を上手に交わせなかった私は、いつもならコーヒーだけであるものを、となりに麦茶を並べてはほぼ同時進行で嗜むことにした。コーヒー&麦茶である。

たまった100円玉の行方を考える。

でかける前に、財布と鍵をポケットに入れる。どうも財布がふくらんでいるなと覗いてみると、あきらかに100円玉が多すぎることに気づく。数えてみれば2,300円だ、100円玉だけで23枚。二つ折りの財布であると、小銭入れの大きさなどたかが知れている。にもかかわらず、100円玉23枚はあまりに見栄えが悪い上に、そもそもボタンも閉まりにくい。よくもここまで放置できたものだ。そこで小銭が多すぎるときは、どのように対処するのがもっとも理想であるのか?という疑問を自身に投げかけてみることにした。少なくとも無駄につかうことだけは避けたいところだ。

これが鉄板、たまった小銭は重ねてみる。

これまで、たとえば1円玉や5円玉ときに10円玉であれば、別な容器にいれて保管をしていたことはあった。しかしながら、100円玉となると現場でも十分に活躍できるゆえ、なかなか貯金しようとまでは思えなかったものだ。私は、23枚の100円玉の管理の仕方をしばらく考えることにした。

そこでまず実践してみたのは、100円玉を10枚単位で重ねて机の上に並べることだ。そうすると、二つの重なりと3枚の塔ができあがる。しかしながら3枚ばかりのこってしまうのもなんだか癪なので、10枚単位をさらに分割して4つの塔をつくりあげることにした。

100円玉を重ねて気づいたこと。

実際に5枚単位で重ねてみたときに、いよいよ『どうして小銭を重ねる必要があるんだ?』という心境を自ら生み出すことに成功した。それと同時に、そういえば私はクイックルワイパーが欲しかったんだということに気づき、そのまま100円玉の重なりをいらないレシートにつつんでは、散歩がてらに近所のホームセンターで引き換えるに至る。すなわち小銭を重ねることに関わらず、意味のないことは世の中に存在しないということだ。もしも100円玉を重ねながらじっくり用途を考えていなければ、クイックルワイパーには辿りつかなかったかもしれないのだから。


槍の間合いもまだまだだな。