2016.01.12 視覚表現
今年入手した七福神の壁に貼るタイプの紙のお守りを、部屋の北側南向きの壁に貼り付けている。しかしながら、今年はどうも何回貼っても剥がれ落ちてくるので縁起が悪い。よくよくみると、貼り付けているテープの素材が去年とちょっと違う。そうか、これは単なる装飾につかうマスキングテープだ。こんなのじゃだめだ、紙を貼り付けるだけとはいえどおもいっきり釘で打ち込んでしまいたいものだ。
距離685m アングル19度 照準点と着弾点の差は?『58.85cm上 目盛6 アップ3』
さて、マスキングテープのくだりはこれくらいにしておきたい。タイトルはお馴染み、トム・ベレンジャー主演映画『山猫は眠らない2』より最も狙撃手らしいセリフを抜粋している。正直言って作品を観た直後ではないので、作品に関する細かい感想は一切控えておきたい、ツッこまれても逆に困る。
今回はあくまで記憶の話であるが『山猫は眠らない』シリーズを1-5まで視聴しても、はっきり言ってタイトルにある通り狙撃手ならではのセリフがでてくるのはほとんどないということだ。そのような意味で『山猫は眠らない』シリーズも、やはり2により最もいいセリフがでてきたなというのが率直な感想である。シリーズものに関する絶対的な信頼は決して外れてはいなかったということが、今回の大きな収穫である。
そもそも映画のシリーズものというのは大抵、パート2にあたるものが最も優れており、たとえば1にあたる初期の作品はその2における前フリとしてみると最高におもしろい。ということで大概は2が一番の盛り上がりであり、それが3,4,5まで出てしまうと、これらは大抵ラズベリー賞のようなものである。個人的に解釈してしまうと、大概映画は失敗したくないので、1である程度本気を出す。そうすると、本気を出した作品というのは調子がよいうえにその後のイメージも湧きやすいので、話を膨らせることがとても容易である。さらには、1の成功によって制作費も多めにだせる。制作側にとってもここまでは順風満帆なのだ。
問題はそのあとである。ここまでくると2の時点で、ある程度の本気を出し切ってしまうのがオチだ。そうすると、どんなに頑張ってもその2を超えることは難しいのである。3,4とあまりに頑張ってしまうものだから、それらの作品はもはや別作品として捉えないとつながりがなくなってくるわけである。
最もわかりやすく例えるならば、やはりドラゴンボールである。スーパーサイヤ人はだれがみても強くてかっこいい。それがスーパーサイヤ人2になれば、視聴者は『ヤバいぞ、1よりさらに強くなってコイツは間違いなく史上最強だ。』と勝手に思い込んでしまう。しかしどうだろう、3にもなると、たしかにパワーもエネルギーも並外れたものに進化するが、ビジュアル的に髪の毛が異様に長くなってしまい、ましてや眉毛がなくなっているではないか。こうなると、例えスーパーサイヤ人3とはいえど、これまでにじっくりつくりあげてきたキャラクター性というのは気付かぬうちに初期状態に戻ってしまうのである。スーパーサイヤ人3は、もはや別キャラクターとしてみてしまうという状況になりかねない。
山猫は眠らないをはじめとした映画全般もまだ同じだ。パート3までいっていまうならば、いさぎよくタイトルを変えて別映画にしてしまった方が視聴者もより楽しめるのではないかという考えが、私には常にあるものだ。
年別一覧