2017.01.23   視覚表現 ,,

理性と感性の違いとは?頭で理屈を考えるが先か感性で動くか。

『頭で理屈を考えてから行動し、感性でモノを言わすのか。はたまた、感性で行動した結果を頭で分析して言葉にするものか。』よくそんな感じのことを寝る間も惜しんで議論する人種もあるわけで。要するに理性と感性の優先順位はどちらかというだけの話である。そんなものは時と場合によるわけで、その状況によって違うということは言うまでもないのである。

まずは自身がどちらのタイプか検証をする。

それらを踏まえた上で前述の『感性と理性とは?』と、議題に対して自分ははたしてどちらのタイプであるのか?ということを問いかけたとしよう。そのとき、自らのタイプを即座に述べることができるのであれば、それは『感性で行動した結果を頭で分析して言葉にする』タイプの人間で、逆に一瞬でも迷って答えたのであれば『頭で理屈を考えてから行動し、感性でモノを言わすのか。』というタイプが多いことが見えてきている。そんなものである。

理性と感性の違いの具体的な例は?

理性と感性を考えるにあたり、お金とイメージの話というのも考えてみるとわかりやすい。というのも、例えば何かの場面でお金を支払わないといけないとする。そのお金を支払うことで自分にとっては損をしてしまうような状況である。しかし、損をすることをわかっていながらもその対象となるヒトやモノに何らかの恩恵があったり、愛着があると金銭的な損得など二の次の問題になる。むしろ、損どころか自分自身が気持ち良く進んでおこなっているのだからそもそもその行動を『損』だとは思っていないのである。
このとき、対象のヒトやモノに対して何らかの恩恵や愛着が生まれてこなければ、金銭的な損得だけでモノゴトを判断することになるだろう。それはある意味で理性的な考えであり、そのあとにあふれてくる『恩恵や愛着』という感じ方が感性に違い感覚になっているようだ。

感性が豊かな人の特徴は?

それでは『感性が豊かな人』とはどのような人のことを指すのだろうか?例えば前途した金銭的な損得の話で例えるとわかりやすい。どんなに自分にとって金銭的に損をすることであったとしても、その対象となるヒトやモノのイメージがよかったり恩恵があったりすると、金銭面での損を感覚での心地よさに変換ができる人は感性が豊かな人の一例としてあげられるだろう。
よく『目に見えないものを大切にする』という考え方がある。人はみな物理的に何か目にみえるものだけに存在意義を感じたり、大切にしたりとしがちである。しかしながら、実際に人の優しであったり感謝の気持ちなど、本当に人間にとって必要なものは物理的に目にみえないものがほとんどである。性が豊かな人というのは、そのような『目に見えないもの』ほど、大切にしている傾向にある。

感性に心理テストなんていらない?

結局のところ損得で考えれば、人は金銭的な価値観で判断することも多いと思われる。しかし、心が動くのはいつだって身近にあるモノゴトや風景を題材にしたものとその発展である。我々は日常の中から何かしらの感情を生み出し、それを理性によって変換しているのである。感性の心理テストをしている場合ではない。身近にあるすべてのものをいかに感じ、表現してあげるか。それだけである。

誰にでも理性と感性がある。

理性と感性について考え出すと双方の違いや比較、そしてどちらが自身には適しているかなどの診断をしがちである。しかしながら、ほとんどの人は理性と感性の両方を兼ね備えているものである。どちらがよいか悪いかというわけではなく、どちらもバランスよく育てていくことが重要であろう。

『やってみないとわからない』という言葉はよく耳にする。これなんかは『感性』による感じ方をよく尊重している言葉だと思う。やってみるまでその結果がどうなるのかはわからないという、チャレンジ精神や好奇心をくすぐるための言葉がけは、いろいろな体験をするためには欠かせない。そしてこの『やってみないとわからない』という言葉がものすごくパワーになる。

しかし、よく理性を働かせてみれば『やらなくてもわかる』こともまた、たくさんある。これは人間の体験と記憶にも関係することだとは思うが、成功はともかく失敗を何度も同じことを繰り返すことと新しいことを何度も繰り返すのとではわけが違う。

そろそろ理性と感性の違いの結論を。

感性と理性はどちらが優先的に働くのかということであるが、前述したとおり結論としては状況によって異なるわけでどちらともいえないということである。常時理屈を考えていても、とっさに感性が働くことによって他人にしてはならない迷惑をかけてしまうこと。感性が激しいあまりにとっさにでてしまう暴言や罵声、終いに手がでてしまえばそれはもう人間ではいられまい。教育と未来を日々何度も考え、創造することである。なぜ、どうしてそこまで拒めるのだろうか。

どうしても初心を忘れてしまいがちな季節はやってくる。初心と感謝の育みを怠ったとき、感性と理性の働きなどなんの役割も果たさぬ次元に放り投げられる。赤子へのどんな想いも、第三者にとっては言葉かけこそがすべてだと認識されてしまわぬよう、日々の理性が重要である。

『頭で理屈を考えてから行動し、感性でモノを言わすのか。はたまた、感性で行動した結果を頭で分析して言葉にするものか。』答えは簡単である。理性も感性も天秤で釣り合っているだけである。


槍の間合いもまだまだだな。


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