2016.01.19   視覚表現

電気の明るさはどのくらい必要?電源スイッチの故障をきっかけに。

ここ2,3年故障したまま放置していた、トイレ脇の洗面所の電源スイッチの交換をようやく完了した。スイッチのバネがダメになっていたのがそもそもの原因ではあったが、スイッチが直ったところで電球はつかなかった。2,3年放置されていれば、中の60形電球がつかないのも当然である。お風呂の60形電球を洗面所に付け替えて、しばらくお風呂は太陽がのぼっているときに入ることにした。こんなことを言っている間に60形電球を買ってきてしまった方が早いくらいであるが、しばらく太陽のありがたみを知るためにもいい機会ではなかろうか。

風呂場に60形電球2個もいらない。

自宅の風呂場は60形の電球が2個入るつくりになっているが、そもそもお風呂にこんなに多くの光は必要ないとみる。ましてや、今ではLEDもでているので今まで以上に明るく設定できてしまう。しかもスイッチは一個だけなので、それらを切り分けることもできない。止むを得ず一個分の電球を外しておくしかないのだ。ここは大衆風呂とはわけが違うのだ。

電気の明るさにおける結論。

電気の明るさは引き算するのが難しい。というのも、人は明かりをみたときにその明かりが必要なんだと思い込んでしまうものである。それもそのはず、目の前にその明るさがあるのだから当然なのである。しかしどうだろうか、一瞬でもその明るさの時点から『一体どれだけの明かりを減らすことができるだろうか』と視点を変えてみてみると、おもしろいものがみえてくる。
逆に、例えば真っ暗の中からろうそく一本だけをつけて明るさを感じてみる。そうすると、あとどのくらい明るさが必要なのかという計算が、ろうそくを一本ずつ足していった物理的な計算でできるようになる。人々は明るさによってすべてをみなければならないと無意識に煽られているものだ。目に見えるものほど真実も少ないのだから、いっそのこと真っ暗でも何の問題もない、いずれ太陽ものぼるのだから。


槍の間合いもまだまだだな。


枯れ木も山の賑わい。


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