2015.07.31   視覚表現

このページを読もうとしている人はあとで後悔するかもしれない。

このページを読もうとしている人は、後悔するかもしれない。なぜなら、このページをはじめとした『kojinao.com』というサイトは、全体の約9割におけるページがテキスト、すなわち文章だけでただずらずらと備忘録をしたようなサイトだからである。イラストデータや写真、そして動画やその他ウェブサービスが普及している時代にもかかわらず、こうしてテキストしかないページを淡々と読むことは疲れるだろうし、そもそもブルーライトが目にも悪いので決しておすすめできない。文字だけ読みたいのなら、本を読んでた方がよっぽど目にも優しいはずである。

ではそのようなことを本人が知っていながらも、なぜ今なおテキストだけでページを作成し続けているのだろうか。理由はとてもシンプルである。なぜなら、写真を撮影したりウェブ用に圧縮・リサイズをするのが非常に億劫だからである。もちろん、それらの動作自体が嫌いなわけではなく、むしろ写真を撮影したり画像を加工することは比較的好きである。しかしながら、文章をキーボードでカチカチと打ち込んでいけば、文字がそのまま物語を創造していくようで、写真や映像などのコンテンツがかえって文字だけのストーリーを崩しかねないと考えているからである。そのくらい、言葉や文章というものに愛着もある。

できるだけ荷物を減らしたいのである。写真を撮ってアップするのも、文字だけをささっと打ち込んでページをつくるのも、極端な話をいえば同じ1ページにすぎない。それであれば、スマホもカメラもバッテリーも持たず、そのときその場所で思ったことをずらずらと述べていった方が自然の感覚でページを生成できる。

かゆいところにいき届かないような孫の手を持ち歩くくらいなら、かゆいところに自らの腕が伸びるようにストレッチを徹底するだけである。そこで孫の手は必要ないのである。余談ではあるが、2週間程前に蚊に刺された箇所が今ころ痒くなるのはなぜだろうか。こればかりはストレッチをしても仕方がないものである。


槍の間合いもまだまだだな。