2014.10.17   民間伝承 ,,,,,,,,,,,,,,,,,,

本のソフトカバーからわかる、順序と段階による心地よさの展開

本についてはハードカバーよりもソフトカバーの方が好きである。手に馴染みやすいのが何よりもの理由である。例えば『とても内容のよいハードカバーの本』と『とてつもなくつまらないソフトカバーの本』があったとする。そのとき、鞄に入れて持ち歩くのは『内容のよいハードカバーの本』であるが、「もしもハードのあなたがソフトだったらもっと親近感がわくよ」といった具合に、ソフトカバーに対するちょっとした敬いの心が芽生えてくるのである。そのくらい、ソフトカバーに対する愛着は深い。

単行本であればなおさらよい。同じ内容のものをソフトで、しかもコンパクトにおさめているからだ。世の中でどデカいものは数えきれないほど多く存在するが、ここ最近でデカくていいなと思ったのは、せいぜい映画をみるスクリーンと作業用のデスクくらいだ。あとはそこそこの大きさで十分、物理的なものも組織も何もかも、デカいのは結局のところ管理に困るだけなのだ。

話はふりだしに戻るが、身体に馴染みやすく、コンパクトにおさまるモノゴトは美しさの条件のひとつにさえなりうる。一見モノは身体に馴染んでも、コトを身体に馴染ませるというのはおかしな話だ。しかしながら、コトが身体に馴染むというのは身体に対して違和感がない様子や習慣化した状態を指している。すなわち、ソフトカバーのように柔らかく、コンパクトな状態からコトが展開していけば、何でもすんなりと馴染んでいくものなのである。

私が言いたいのは、物事に順序と段階がはっきりとしていると心地がよいということである。それをソフトカバーに例えるという、ちょっとひねくれた展開である。


槍の間合いもまだまだだな。