2015.08.03   民間伝承 ,,

5分前行動のメリットは?祖母から教わる5分前行動の意味とメリット。

日本人における待ち合わせや集合場所における時間の約束をする際にはよく『5分前行動』のような行いが昔から浸透しており、結構守っている人も多いのではないだろうか。私なんてのは基本的に『人様に迷惑をかけない』というのがモットーであるので、よっぽど相手が悪い場合や都合が悪くなければ時間は守りたいというのが本心ではある。
ただし実際のところ私の場合は、たとえば片道で10分かかる先の場所で待ち合わせをした場合、5分前行動という『5分』の部分ばかりを重要視してしまい、集合時間の5分前に出発すればいいんじゃないかなんていう、とてつもなくひどいことを考えてしまうこともよくある。このような人間は、5分前行動の意味とメリットをもう一度見直すべきである。

そもそも5分前行動って意味はいつから?

そう、5分前行動という概念がいつのまにか自分の頭の中で認識されていることにふと気づく。実行できるかできないかは別として、頭の中でしっかり記憶されているのがなんとも不思議で仕方がない。いろいろ思い返してみると、5分前行動という言葉が認知されているのはなんてことない、小学校や中学校などの義務教育期間内にそういう教え方をされているからであろう。大切な休み時間であるにもかかわらず、その休み時間は次の授業の準備のための時間だというところから5分前行動という概念が生み出されている。5分前行動は義務教育からの名残なのである。それが代々伝わり、今に至るといったところだろうか。というのも、5分前行動という言葉があっても誰も守らないければ当事者もまた、5分前行動で集合場所に行ってもだれもいないので意味がないわけである。

5分前行動ができない理由は?

5分前行動由来は意味はどうでもいい。問題は5分前行動をしたいけれどできないという場合である。そもそもどうして5分前行動をしなければならない状況にいるのかといえば、それはもちろん日本人のみんなが5分前行動をしようという心がけがあるからである。立場的に上に人になればなるほど5分前行動をしっかり守っていけば、縦社会である日本人はみんな5分前行動をしないと相手に失礼だと思ってしまうという、自然な成り行きなのである。
そのような中で5分前行動ができなくて悩んでいる人もいるようであるが、理由はいたってシンプルである。5分前行動をしたいというのは『人に迷惑をかけたくない』からというのがほとんどの理由であると思う。が、それでも5分前行動ができないのはそれまでも何かしらアクションを起こしているからである。いくら5分前行動を心がけていても、その5分前の時間まで何かをやろうと思ってしまえば5分前に行動を完了させることがやや難しくなってしまうのである。

10分前行動を心がけないと5分前行動はできない?

つまり、5分前行動ではもはや成立しないのが日本社会の現状であり、実際には10分前行動あたりが理想になっている。では日本では5分前行動が自然と浸透してしまったが、日本以外の海外ではどうなのだろうか?

海外では5分前行動ってどう評価されている?

こればかりは海外といっても国や地域によって時間の概念はそれぞれなのでなんとも申しづらいが、少なくとも私が関わってきた海外の人間はみな時間にはルーズである。もっと偏見なことを言ってしまうと、身体が大きい人ほどゆとりを持っていて時間を気にしない人が多い。社会や環境だけでいえば日本よりも海外・特にヨーロッパやアメリカの方がやや時間にはルーズであることが考えられる。インドは論外であろう。ただし、海外の人間も好きでルーズになったり遅刻をしているわけではない。みんなが5分前行動をそこまで意識していないから成し遂げられることである。

昭和初期生まれの祖母は行動が早い。

そういうわけで、結論からいえば私は5分前行動というのができない。しかしながら、どうも私の祖母に関して言えば、◯◯分前行動に関してはプロフェッショナルと呼んでも過言ではない。たまたま祖母が『13時半から琴の発表会を観に行くから連れて行ってほしい』と言う。今の時刻は12時20分、だいたい1時間と10分前だ。
なるほど、発表会の目的地までの所要時間はおよそ5分。入場など考えて10分前に到着すればよいだろう。いや、もうちょっと余裕をもってプラス5分だ。そう考えた私は、祖母に15分前行動を提案し、13時15分に家を出ようと提案した。快く承諾されたのも束の間、なんと祖母はその場で身支度を始めて、準備がすべて整ったのが12時半。『ま、まさかっ!』とは思ったが、予想通り祖母は『もう行くよ』と私を呼び起こした。ん、発表会まであと1時間、所要時間はおよそ5分。はじまりまで1時間弱はありそうだ。

しかも場所はこの真夏日の炎天下の真下で、さらには正午という暑さのゴールデンタイム。よくよく聞けば、琴の発表会とはいえど屋外で演奏をするそうだ。そんなところで1時間も待機をしていたらマグロなみの大きさの煮干しになってしまうとも警告をしたのだが、私の交渉術が悪いのか、はたまた祖母の琴に対する情熱が強いのかは定かではないが結局、時間のプロフェッショナルを説得させることはできなかった、無念である。

まだ続きはあるのだが、少々眠気がおそってきたので終わりにしたいと思う。


槍の間合いもまだまだだな。